お散歩日記。浜松町編② 港区役所脇の猫

もうそろそろ総裁選挙ですね。
それはともかく、文化放送を後にして、増上寺へ向かうことにする。増上寺へは、東京タワーを目印に大門大通りを真っ直ぐ進めばたどり着くのだが、ひょいと裏道へ入ってしまうのがうちです。
途中、芝大神宮前を通ったのですが、例大祭の真っ最中で参拝を諦めて増上寺を目指すことにする。

今日はなんだか諦めてばっかりです(゜∞゜)y-゜゜

途中、港区役所前を通りかかると。

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目の前を猫さんが歩いていきます。パトロールの最中でしょうかね(*´д`*)

猫さんの後を歩いていくと。

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ついてくんにゃ!

怒られちゃいました(´・ω・`)

そして、増上寺到着です。

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ここで、お勉強!
増上寺について、お勉強です。

空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。その後、室町時代の明徳4年(1393年)、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗した。この聖聡が、実質上の開基といえる。

中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では天正18年(1590年)、家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、徳川家康によって現在地の芝へ移された。

風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。

また、徳川家の菩提寺であるとともに、檀林(学問所及び養成所)がおかれ、関東十八檀林の筆頭となった。なお、延宝8年(1680年)6月24日に行われた将軍徳川家綱の法要の際、奉行の一人で志摩国鳥羽藩主内藤忠勝が、同じ奉行の一人で丹後国宮津藩主永井尚長に斬りつけるという刃傷事件を起こしている(芝増上寺の刃傷事件)。

明治時代には半官半民の神仏共同教導職養成機関である大教院の本部となり大教院神殿が置かれた。のち排仏主義者により放火される。徳川幕府の崩壊、明治維新の政教分離によって境内の広範囲が芝公園となるが、現在なお、大寺の風格を残している。

第二次世界大戦の空襲によって徳川家霊廟をはじめとした遺構を失う大きな被害を受けた。

なお、この付近の町名や地下鉄の駅名に使われている「大門」(だいもん)は、増上寺の総門のことを指す。現在の総門はコンクリート造である。

ウィキペディアより引用)

歴史のある由緒正しきお寺だということをご理解いただけたでしょうか。

さあ、いざ境内へ。

その前に・・・。

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お寺の中にある茶店でお昼ご飯です('¬'*)
お蕎麦と日本酒です。写真だと分かりにくいですが、お蕎麦が来るのを待っている間に、半分以上お酒を飲んでしまった。ちょと気の利いたお店ならお酒に漬物を添えてくれたりもするんですが、まあ、お酒が結構美味しかったので文句ありません。

食事を済ませて参拝へ。

その模様は、またまた続く。

(=^・ェ・^=))ノ彡☆シッポフリフリバイバイ♪

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