昭和天皇のご発言?

このところ、二つの事柄で落ち込んでいましてね・・・(´・ω・`)
しかし、その一つは事態が好転。嬉しい結果になりました。

▼毎日新聞

<欽ちゃん球団>「やるぞ」新潟で萩本監督 存続の方針 

 所属選手の不祥事から、19日にチームの解散を表明していた社会人野球のクラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ(GG)」監督でタレントの萩本欽一さん(65)は22日、一転して解散を撤回し、チームを存続させる方針を明らかにした。
 萩本さんは、新潟県魚沼市で行われた震災復興野球大会で、集まった約4000人の観客に「これだけ応援されたら、野球やらなきゃな。やるぞ」とあいさつ。試合後「誰が何と言っても、復活です。何があっても死ぬまでやる」と話した。
 解散宣言後、球団本拠地の茨城県稲敷市やキャンプ地の宮崎県日向市などで存続を求める活動が広がり、2日間で1万人を超える署名が集まった。また球団事務所にも存続を求めるメールなどが多数寄せられていた。
 この日、萩本さんは「やめないで」と声援を送る観客に「悪い夢を見てたんだな。みんな応援してくれるんだから、つらいこともあるけど、そんなに簡単に捨てちゃダメだよな」と涙で話した。
 試合は元ヤクルトの青島健太さん(48)が監督の企業チーム「セガサミー」戦。「これまでのGGは終わり」とまず九回の表裏を行い、「新生球団」として再開した。
 試合後「やめることがどのくらい迷惑をかけるか(分かった)。個人的に責任を取ったという気分はない。今も申し訳ないと思うが、また野球をやって喜ぶ人の顔が見られる」と話した。今後、自ら関係者を回り、謝罪とお礼を行うという。
 チームの女性選手、片岡安祐美さん(19)は「他でやることは考えてなかった。本当に良かった」。中心選手で元オリックスの副島孔太さん(32)は「全日本クラブ選手権(8月)に向けて頑張りたい」と話した。
 稲敷市から駆けつけた稲敷後援会の木沢安司さん(66)は「みんなで泣きました。昨日まではどうしようと言っていた。本当にうれしい」。子供2人を連れて観戦に来ていた地元の主婦、高木和枝さん(39)は「欽ちゃんが悪いわけではないし、選手も野球が好きでやっている。続けてほしかったので良かった」と話した。
 萩本さんは、メンバーだったお笑いコンビ「極楽とんぼ」の山本圭一さん(38)が遠征先で少女に性的暴行を加えた疑いで警察の事情聴取を受けたのを受け、19日、「大好きな野球だけどやめます」と解散を表明していた。【山本亮子、神田順二】

(毎日新聞) - 7月22日21時8分更新


解散宣言をしたときの欽ちゃんの悲しさと無念さとが入り混じった表情に、胸が張り裂けそうでした。
事は山本一人だけでなく、他にも球団の選手が少女と一緒に飲んでいたとか。ファンに夢や楽しさを売る球団がそれを裏切ってしまっては解散もやむなしか、とは思っても解散してしまうことに、欽ちゃん同様無念さを覚えずにはいられませんでした。
しかし、欽ちゃんのこの責任の取り方に多くのファンが動き、紹介した記事の内容の通り、結果、解散は撤回、継続していくことになりました。よかったよぅ( ´Д⊂ヽ

この件で思ったことは、欽ちゃんの視線は常にファンに向いているって事。ファンを裏切ってしまった。だから解散するしかないと考えたのも当然で、解散するなと多くのファンが声を大にして叫ぶのを聞いて継続を決めたのも当然なのでしょう。

昨今、日本企業の不祥事が相次いでいますが、それもこれも欽ちゃん球団で言うところのファン、お客様を見ていないから起こる事でしょう。不祥事を起こしても責任を擦り付け合うだけで、責任逃れをなんとかしようとする企業経営者はもちろんですが、自分の発言や行動に責任を取れない政治家も増えているこの頃。そういった連中に、欽ちゃんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ。

でも。ん~。やばいなぁ。歳をとったせいか、涙腺がゆるくなってきたっぽいぞ。TVで、これだけ応援されたら野球やるしかない。野球やるぞ! と言う欽ちゃんの姿を見て泣けてきた。

さて・・・。
もう一つの懸案材料。これはなんなんだ?

▼日経新聞

昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ

 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。


毎日新聞に詳しいのでそちらもご紹介します。

▼毎日新聞

<昭和天皇>A級戦犯の靖国合祀に不快感 元宮内庁長官メモ

 昭和天皇が1988年に、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝はしていない」などと語っていたとされるメモが、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)の手帳に残されていたことが分かった。昭和天皇は78年のA級戦犯合祀以降参拝しなかったが、その理由はこれまで明らかになっていなかった。間接的なメモとはいえ、昭和天皇の合祀についての考えが公になったことで、今後のA級戦犯分祀論議や首相の靖国参拝問題などに影響を与えそうだ。
 遺族らによると、富田氏は、74年に宮内庁次長に就任し、88年6月に長官を退任するまでの間、昭和天皇との会話などを日記や手帳に残していた。
 靖国神社についての発言メモは88年4月で手帳に張り付けてあった。メモはまず、「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取(原文のまま)までもが、 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記している。
 「松岡」はA級戦犯で合祀されている日独伊三国同盟を締結した松岡洋右元外相(東京裁判の公判中に死亡)、「白取」は白鳥敏夫元駐伊大使(同裁判で終身禁固刑、収監中に死亡)、「筑波」は66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)とみられる。
 メモはさらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は 平和に強い考があったと思うのに」などとしたうえで、「だから 私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と記している。「松平」は終戦直後の最後の宮内相、松平慶民氏(故人)。「松平の子」は、長男で78年10月ににA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司、松平永芳氏(同)とみられる。昭和天皇は松平永芳氏が決断した合祀に不満だったことを示している。
 昭和天皇は45~75年に8回靖国神社を参拝した。
 富田氏は警察官僚出身で、72年の浅間山荘事件を警察庁警備局長として指揮し、74年に宮内庁次長、78~88年まで同長官を務めた。その間の87年には昭和天皇が天皇として初めて開腹手術を受けることを決断した。退任後は国家公安委員を務め、03年11月、83歳で死去した。
 遺族によると、富田氏は昭和天皇とよく御所などで会話し、それらをメモなどに書きとめ本棚に保管していた。靖国神社をめぐる今回の発言については、富田氏が長官を務めていた当時、直接聞いたことがあるという。
 昭和天皇の不快感について、靖国神社広報課は「コメントは差し控えたい」と短く談話を公表した。【桐野耕一】
■富田氏メモ靖国部分の全文■
 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)
 ◇内容信用できる
 ▽「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さんの話 あり合わせのメモが張り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた。A級戦犯合祀を昭和天皇が疑問視していたことがはっきり示されている。小泉純一郎首相は、参拝するかどうかについて、昭和天皇の判断を気にしないのではないか。あくまで首相の心の問題で、最終的には首相が判断するだろう。
 ▽A級戦犯 第二次世界大戦後、ポツダム宣言に基づいて開かれた戦犯裁判で、「中心的指導者」とされた被告。終戦間際に連合国側が定めた「平和に対する罪」に該当するなどとして、首相経験者や陸海軍高官ら28人が起訴された。極東国際軍事裁判(東京裁判)での48年の判決では、全員有罪(公判中に2人死亡)で、東条英機元首相ら7人に絞首刑が言い渡された。78年10月に絞首刑の7人と公判中や収監中に死亡した7人の計14人が靖国神社に合祀されている。
 ◇分祀論議などにも微妙な影響
 昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示していたことを裏付ける資料が発見されたことは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝がクローズアップされる中、政界に根強いA級戦犯分祀論議に一定の追い風となりそうだ。ただ、靖国神社側は分祀について、これまで強く否定している。
 天皇参拝が途絶えたことは、78年のA級戦犯合祀に配慮したとの指摘がもともと政界に強かった。一方で、75年の最後の天皇参拝と合祀の間に約3年の空白があることから、国会で野党が天皇参拝を追及したことが原因、との反論も根強かった。安倍晋三官房長官は20日の記者会見で資料について「宮内庁からは『個人のメモに基づくもので、詳細を承知していない』と報告を受けている。天皇陛下の参拝については、そのときどきの社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討して宮内庁で対処してきた」と説明。小泉首相の参拝への影響については「首相自身が判断するものだ」と語った。
 A級戦犯については、自民党の古賀誠元幹事長、山崎拓前副総裁らが神社からの分祀論を提起している。かねて中曽根康弘元首相は「天皇陛下もお参りできるためには分祀が一番いい」と主張しており、今回の資料発見で天皇参拝の復活を求める観点からの分祀論が勢いを得る可能性はある。
 ただ、政界が分祀論議を提起することは政教分離原則に抵触するとの批判があるうえ、靖国神社側は分祀を強く否定しており、状況は複雑だ。【中川佳昭】

(毎日新聞) - 7月20日14時12分更新


日経の報道を受けて、マスコミ各社はこのメモの存在を何の検証もせずにこぞって報道しています。
これが、昭和天皇のご発言でありご本心であるならば重く受け止めなければなりません。が、どうしても腑に落ちない点が多すぎます。自分自身の思考を整理するためにも、その疑問点を箇条書きにしてみます。

○このメモが作成された状況
昭和天皇のご発言とするならば、どのような状況で、どのような会話の流れだったのか。その前後がまったく分かりません。第三者から聞いた話を昭和天皇のご発言としてメモしておいただけ、という可能性はないのかどうか。

○『私』とは昭和天皇のことなのか?
昭和天皇はプライベートでは「朕」を使用していたことが知られています。ここで『私』=昭和天皇と結びつけるのは不自然ではないか?

○『松岡、白取までもが』をどう解釈するのか?
松岡はA級戦犯として合祀された松岡洋右・元外相で「白取」は白鳥敏夫・元駐伊大使ですが、二人は、独、伊との三国同盟を推進した人物で、結果、米・英と対立を深めていったと言えなくも無いのですが。
この、「~までもが」はなにを指しているのか。米英との対立を深めた原因を生み出した二人が靖国神社に祀られてるのが不快なのか、それとも、当時の状況下では致し方ない選択肢を選んだ二人がいわゆるA級戦犯とされたことに対することを指すのか。
この箇所は、読む人間の考え方次第でどうとでも解釈できてしまう。その事がどうにも引っかかります。

○『参拝』?
天皇家は神道の最高神である天照大神の子孫であり、天皇陛下が神社に訪れる事は「参拝」ではなく、「親拝」するとなります。そのことを当の昭和天皇が知らないはずがありません。よもや、うっかりいい間違えた、なんてことはないでしょう。

○『あれ以来』とは?
この箇所もどのようにでも解釈出来てしまうと思います。
いわゆるA級戦犯が合祀されたのは1978年で、昭和天皇が最後に靖国神社にご親拝されたのが1975年。いわゆるA級戦犯の合祀で親拝出来なくなったと解釈することも出来ます。ご発言があったとされる1988年まで、ご本心を打ち明けられなかったと考えることも出来るでしょう。
しかし、昭和天皇が最後にご親拝された1975年に、当時の首相三木武夫が私人として靖国神社に参拝しています。一国の首相が国のために戦った方々を公人ではなく私人で参拝するというのもおかしな話ですが、この年を境に昭和天皇のご親拝は途絶えています。天皇陛下は『公』の存在ですから、日本の首相が『私』という立場でしか靖国参拝が出来ない状況であれば、ご親拝も叶わないと考えるのが自然なのでは。
靖国神社に祀られている人の中には、昭和天皇が不快感を抱いていた人物もいるのやもしれませんが、そんな『私』的な感情でご親拝を取りやめるのは不自然でしょう。

○マッカーサー回顧録に見る昭和天皇のお気持ち
昭和天皇はマッカーサーに対し、「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」と仰せられた。
また、それ以前に昭和天皇は木戸幸一内大臣に対し「自分が一人引き受けて、退位でもして収めるわけには、いかないだろうか」とも仰せられている。
ご意思に反し、戦争に突入していったことに強い不快感を抱いていたのやもしれない。しかし、回顧録に見られるように、ご自身が一切の責任を受けることにより、国民や臣下を守れないか、とお考えになっていたように思われます。にもかかわらず、後年、責任を臣下になすりつけるようなご発言をされるだろうか。

○なぜこの時期に?
今年も小泉の靖国参拝に注目が集まり、また、靖国参拝は総裁選の争点の一つにもなっています。それを牽制するようなタイミングで出てきたこのメモ。その裏に政治的な意図を感じずにいられません。

他にも疑問点はあるのですが・・・。
ま、一番の疑問は『メモ』かな。メモは正しくないというのではなく、報道機関がろくな検証もせずにメモを正確なものとして報道するのって物凄くおかしな話だと思います。

ところで・・・。
朝日のこの社説って・・・どうなのよ。

▼朝日新聞・社説

A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉

 東条英機元首相ら14人のA級戦犯が靖国神社に合祀(ごうし)されたのは、78年のことである。戦後も8回にわたって靖国神社に参拝していた昭和天皇は、合祀を境に参拝を取りやめた。

 その心境を語った昭和天皇の言葉が、元宮内庁長官の故富田朝彦氏の手で記録されていた。A級戦犯の合祀に不快感を示し、「だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」とある。

 昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたのは、A級戦犯の合祀が原因だったことがはっきりした。

 合祀に踏み切った靖国神社宮司の父親は松平慶民元宮内大臣だった。メモには、その名を挙げ、「松平は 平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らず」という言葉がある。

 A級戦犯が合祀されているところに参拝すれば、平和国家として生まれ変わった戦後の歩みを否定することになる。昭和天皇はそう考えたのだろう。

 天皇個人としてという以上に、新憲法に基づく「国民統合の象徴」として、賢明な判断だったと思う。しかも、中国などが合祀を問題にする前の主体的な判断だったことを重く受け止めたい。

 戦前、天皇は陸海軍の統帥者だった。自らの名の下に、多くの兵士を戦場に送った。亡くなった兵士の天皇に対する気持ちは様々だろうが、昭和天皇が靖国神社に赴き、戦没者の魂をなぐさめたいと思うのは自然な気持ちだろう。

 しかし、戦争を計画、指導した軍幹部や政治家らを一緒に弔うとなると話は別だ。そう考えていたのではないか。

 メモには「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」と記されている。日独伊三国同盟を推進した松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使への怒りもうかがえる。

 A級戦犯の合祀に対し、昭和天皇がかねて不快感を示していたことは側近らの証言でわかっていた。

 それなのに、昭和天皇が靖国参拝をやめたのは合祀が原因ではないとする主張が最近、合祀を支持する立場から相次いでいた。

 75年に三木武夫首相が私人として靖国参拝をしたことを機に、天皇の参拝が公的か私的かが問題になったとして、「天皇の参拝が途絶えたのは、これらが関係しているとみるべきだろう」(昨年8月の産経新聞の社説)という考えだ。

 こうした主張にはもともと無理があったが、今回わかった昭和天皇の発言は、議論に決着をつけるものだ。

 現在の天皇陛下も、靖国神社には足を運んでいない。戦没者に哀悼の意を示そうにも、いまの靖国神社ではそれはかなわない。

 だれもがこぞって戦争の犠牲になった人たちを悼むことができる場所が必要だろう。それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である。そのことを今回の昭和天皇の発言が示している。


普段、天皇家に対して不遜な態度ばかりの朝日新聞がここぞとばかりに昭和天皇のご発言を『重い言葉』として取り上げてます。文脈は、相変わらず天皇家に対して傲岸不遜だけどね。

>昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたのは、A級戦犯の合祀が原因だったことがはっきりした

>日独伊三国同盟を推進した松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使への怒りもうかがえる

>、「天皇の参拝が途絶えたのは、これらが関係しているとみるべきだろう」(昨年8月の産経新聞の社説)という考えだ。
 こうした主張にはもともと無理があったが、今回わかった昭和天皇の発言は、議論に決着をつけるものだ。

>戦没者に哀悼の意を示そうにも、いまの靖国神社ではそれはかなわない。

アカピー絶好調だねぇ。何の根拠もなく決め付けまくてるなぁ。桶狭間か本能寺か。勝機はここにあり! と攻勢に打ってでてきた感じ。アカピーなら周囲からなんと言われようが突き進むだろうな、と思ったんですが・・・。

▼朝日新聞・天声人語

「あの戦を境にして、『神と人間』『君主と象徴』という対極の生を生きられた天皇が、長い戦争と平和とに隈(くま)どられた昭和という時代を引き連れて、永遠の眠りに就かれた」。89年1月7日、昭和天皇の逝去の報を受けて、本紙の社会面に、そう書いた。

 その前年の4月の日付で、昭和天皇が、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことに不快感を示した発言のメモが残されていた。当時の宮内庁長官が記していたというメモには、肉声を聞くかのような臨場感がある。

 「今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と」「親の心子知らず」「それが私の心だ」。合祀への不快感については、過去にも側近が証言している。メモはそれを裏付けるもので、歴史を変えるというほどではないものの、大きな発見だ。

 気をつけたいのは、このメモの扱い方だ。冒頭の社会面の記事にも記したように、昭和天皇は、あの戦争の前と後とでは対極的な存在となった。ひとつながりの生でありながら、歴史はそういう軌跡を描かせた。

 この、昭和の歴史と特別なかかわりをした天皇の全体像というものには、途方もない幅と奥行きがあるだろう。宮内庁長官を介して間接的にもたらされた幾つかの言葉から、その像が一気にくっきりと見えてくるものではあるまい。

 メモは一つの史料として冷静に受け止めたい。政治などの場で過大に扱うのも控えた方がいい。もっと大きく、昭和の歴史と向き合ったり、あの悲惨な戦争を考えたりする時の手がかりにしたい。戦争で隈どられる時代が二度と来ることがないように。


あれだけ盛り上がってたのが突然の変節。冷静になれ、ときたもんだ。
アカピー内でなにか起こっているのかもしれないね。

このメモの真贋はともかくも、靖国神社参拝を政治利用するのはいい加減やめろと言いたいね。それこそ、特アに利するだけだ。

じゃあ、今日はこれで撤収 へ(へ´∀`)へ カサカサ

(=^・ェ・^=))ノ彡☆シッポフリフリバイバイ♪

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