日本、竹島において敗戦を喫す。

先日の、土曜日はがんばって早起きしたよ( ・д⊂ヽ゛
久しぶりの土日連休だったので、どうしても掃除して布団をほしたかったのだ。朝、マクドナルドの朝メニューを買ってきて腹ごしらえしてから作業開始。10時に初めて終わったのが午後1時くらい。狭いアパートの一室ですが、台所・トイレ・浴室も含めて端から端まで念入りに掃除すると、これくらいかかる。つくづく、主婦の方は大変だと思う。結構な労働力が必要な作業だしね。

午後から暇になったので、昼寝でも・・・なんて思ったんですが、せっかくいい天気だったし、秋葉原に行く用事もあったので、お出かけしました。

秋葉原に立ち寄る前に靖国神社へ行ってきました。4月のはじめ、櫻が満開のときも行ったんですが、春季例大祭だしね。
このところ、月に1度は参拝に足を運んでいるので、遊就館には立ち寄らずに帰ってくるのが常なんです。興味ある展示がされてるときくらいしか足を向けないのですが、この日は、ちょっと寄ろうかなと、ふと思いつき、参拝後に遊就館に向かいました。
今思えば、第6感が働いたのかもしれません。たまに来るんですよ。きゅぴーんと。

遊就館の売店で、なんか本でも買っていくかと思い、玄関ホールにある零式艦上戦闘機ゼロ戦を見ながら奥へと歩いていったんですが、気がつけば売店入り口あたりで人だかりが出来ている。ちょいと関心をそそられまして、近づいて行ってみると、小野田寛朗さんのサイン会やってるじゃないですかΣ(・ェ・;)

『だから日本人よ、靖国へ行こう』

この本は、小野田さんと中條さんの対談本ですが、それの販促キャンペーンみたいですね。本にサインいれてくれてました。


話の順番が滅茶苦茶ですが、小野田さん、この方を知らない人のために注釈をいれておこう。

小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - )さんは、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。大東亜戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰国を果たした。(ウィキペディアより引用

ミーハーだなあ、なんて心の中で苦笑いを浮かべつつうちも並んで買うことにした。

せっかく直接会えるのだから、何か一言、二言、言葉を交わしたい。が、なんて言ったら適当なんだろうか。

「出版、おめでとうございます」
いや。めでたくはないだろう。靖国神社が政争の具になっている現状が異常なのだ。正常な状態ならば、この本を出版する必要はなかったのだから。

「ご苦労様でした」
これも適当じゃない。ご苦労さーんって言うのは本来、同輩以下に対していう言葉だ。つまり、うちが小野田さんと同輩か目上ってことだ。そんなことは当然ないので、こりゃ無礼千万だ。なので、この言葉もダメ。

「お疲れ様でした」
これもなんか上から言っているような気がする。疲れさせる現状を作っているのは、戦後生まれのうちらじゃないか。そのことを棚に上げてお疲れ様とは、これは厚顔にすぎる。

適当な言葉が思いつかない。ブログならさらりと書き流せるのだが。

年長者でもどうしようも無い阿呆な奴なら、平気で馬鹿、と言えるうちだが、相手は尊敬出来る年長者だ。英霊の座におられた方だからね。面と向かうとなると、やはり言葉を探しますよ。こんなうちでも、そのくらいの分別はある。

ご老人に順番を譲りつつ、言葉を考える。
ちなみに、並んでいる順番を年配者に譲るのは当然だと思っている。それが、1時間も2時間も待たされる、某ネズミ王国のような場所なら判断が難しいのだが、ものの数分、順番が回ってくるのが遅くなるだけだからね。日本人の先輩に先を譲るのは当然だべ。

さて、とうとううちの順番が巡ってきた。

本の表紙と中表紙の間にある薄茶色のページには、前もって中條さんのサインも入っている。その横に実に達筆な字でサインを入れてくれている。
サインを入れ終わって、小野田さんの視線があがる。自然とうちと視線があった。小野田さんの顔は笑顔に溢れていた。何か言うならいまだ。本を受け取りつつ、必死に言葉を探すが、口から出たものは、自分でも滑稽と思えるものだった。

「が、がんばってください」

何をがんばるんだーヽ(`Д´)ノ

心の中で自分自身に突っ込みを入れる。小野田さんは、「ありがとう」と言ってくれたけど、そんなことを伝えたいわけじゃない。他に言いたいことがあるんだよヽ(´Д`;)ノアゥア...
『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門さんのセリフを借りるならば、
「うまく言語化できない。情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない」
ならば、体を使うしかねーヽ(`Д´)ノ
失礼と思いながら、右手を差し出す。小野田さんもそれに応えてくれました。
握り返してくれた小野田さんの手は、力強く熱かった。
「がんばるのは、あなたたち若い世代ですよ。今の日本を変えられるのは、あなたたちなんだから。がんばってください」
握った手を通して、小野田さんがそう言っているような気がした。

さて、「だから日本人よ、靖国へ行こう」、この本ですが、書店で見かけたらぜひ買ってもらいたい。「月刊WiLL」からの再録もありますが、ほとんどが初出です。

まだ中ほどまでしか読んでいませんが、日本を取り巻く諸問題の本質が実に分かりやすく書かれています。
少ない言葉の中にも多くの情報が簡潔明瞭にまとまっており、また、戦争経験者の言葉ですから、すしりと重いものもあります。しかし、対談という形をとっているので、小難しい論文のような文章ではなく、人の話を聞く感覚でするすると読むことが出来ます。

この本は1人でも多くの日本人に読んでもらいたい。そこで、どのような内容なのか、文章をいくつか引用してご紹介しよう。

まず、まえがきですが、戦前の靖国観、多くの情報と若い人たちに向けたメッセージがこめられている。

靖国神社が日本人にとっていかに特別な場所なのか、そんなことはわざわざ教わらなくても、みんなが当たり前に持っていた感情です。
いまさら理屈をつけて靖国神社について、あれこれ説明しなければならないのは、おかしい。何か嫌なものです。
靖国神社の遊就館が、よく問題になりますが、あそこに行くと、誰でもこんな悲運な時代があったんだ、戦争は二度としてはいけないという思いになります。
中国、韓国は昭和27年に平和条約を結んだ時の当事国ではないのですから、A級戦犯云々言う資格もないのです。靖国に祀られている人は、自分の欲得で死んだのではありません。国が戦争をしたから死んだのです。国が永代供養をするのは当然なのです。
A級戦犯と言われた人たちのも恩給が出ています。社会党の堤ツルヨ代議士らの尽力で、昭和28年には戦犯の遺族たちへも遺族年金及び弔慰金が支給されることになったし(中略)あの頃は与野党を問わず立派な日本人がいました。
僕が見たところ、若い人たちの方が靖国神社に対する理解があるように思います。何も教わっていない真っ白な状態で、戦前を美化するのではなく、事実を事実として教えれば、人間として判断してくれます。
国のために死んだ人たちを祀らなくては国としての体を成しません。繰り返しますが、素直な気持ちでお参りすればいいのです。


かいつまんで書いてみましたが、これほど内容が詰まったまえがきも珍しいです。
社民党の福島みずほよ。あんたらの大先輩、堤ツルヨ代議士のことを知っているかい?自分の党の歴史を知っていれば、靖国がどうのこうの言えないと思うですがね。

我々はよく、戦前は天皇陛下は神さまだ、と聞かされますが、それに関して、小野田さんはこう仰っています。

(注釈:中野学校における天皇観についてのくだりです)
天皇、国体と言いますけれど、国と天皇は分離できないものとして考えるんです。自分たちの国土を守るのも天皇を守るのも、日本民族を守るのも、これはひとつのことだと考えるんですね。天皇だけを分けて考えることはないんです。
(中略)
神さまだなんて言いませんでした。だから、天皇機関説をとりあげても、教官たちは何も言いませんでしたね。自由に議論が出来た。
(中略)
天皇だけあっても、それでは国が成り立たなくて、長い歴史の中で、自分たちの国をたてていくのに一番都合のいい方法として、日本は天皇を中心にした国をつくってきたわけですからね。
天皇観というより、やはり国体観なんですよね。つまり、自分が何の報酬も見返りもなしに、国のために死ねるかどうか。それを教えるために天皇の話もしている。だから、天皇陛下万歳じゃないんですよ。いわゆる、国全体、国体全体が万歳なんですよ。


かの戦争を戦った先人たちが、何に命をかけていたのかがよく分かる言葉ですよね。

他にもずしりと重い言葉もあれば、なるほどと思う言葉もあります。先人の言葉に耳を傾けることで日本の本来の姿が浮かんでくる一冊になっています。
日本の取り戻すべき姿が浮かんだとき、同時に先人に対して申し訳ない気持ちもわいてきます。このまま、国の行く末など気にもせずに自堕落な生活を続けていていいのでしょうか。我々は日本を先人から受け継ぎ、そして、子孫に引き継いでいかなければなりません。ときには日本の国体・伝統などを守るために痛みを伴うかもしれませんが、その覚悟をする必要が日本人には必要なのではないでしょうか。

しかし、我々国民がいくら覚悟を決めても、政治家やマスコミが腰抜けでは先が思いやられるばかりだ。竹島問題は政治家に国を守る覚悟もなく、マスコミは問題は残るが平和的に解決できてよかったと的外れなことばかり書いている。


一時は決裂寸前も、竹島日韓合意は「痛み分け」

 【ソウル=中島健太郎】竹島周辺海域での海洋調査を巡る日韓交渉は22日夜、両国の意見の食い違いが続く状態から一転、合意に達した。交渉は合意直前まで曲折をたどり、一時は決裂寸前の場面もあった。

 韓国は6月の国際会議に韓国名称を提案せず、日本は海洋調査を当面行わないことで、とりあえず「痛み分け」で矛を収めた形だ。

 難航した交渉の焦点は、日本側が要求していた「6月の国際会議で竹島周辺の海底地形の韓国名を提案しない」ことを合意に盛り込むかどうかだった。日本の要求に対し、韓国は「合意に含めることは、認められない」とかたくなに拒否する姿勢を崩さなかった。

 「これは絶対に譲れない一線だ。これが入らないなら、席を立って日本に帰ってきていい」

 22日昼過ぎ、谷内正太郎外務次官が安倍官房長官に経過報告をすると、安倍長官はこう指示した。

 このため、谷内氏らは「日本は海洋調査の『延期』ではなく、『中止』と明言し、譲っている。韓国が応じないなら帰る」と韓国側に譲歩を強く迫った。

 しかし、韓国も簡単に折れなかった。国際会議への地形名称の提案時期について、「6月の国際会議で提案すると発表したことはない」(柳明桓=ユ・ミョンファン=外交通商省第1次官)と柔軟姿勢を見せながらも、「名称提案は韓国の権利」と交渉の最終段階まで抵抗した。日本政府筋は「盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が過激なまでに強硬姿勢だったため、韓国の外交通商省も振り上げた拳をおろせなくなっていた」と分析した。

 22日午後には、決裂寸前の場面もあった。柳次官が会談を打ち切り、会談場所のホテル38階から地下まで下りて車に乗り込もうとした。日本側は極秘メモを渡し、何とか部屋まで連れ戻した。韓国の一部メディアは「交渉は決裂した模様」と報じ、日本外務省は火消しに懸命になった。

 結局、韓国が6月の国際会議に名称提案しないことは「谷内氏が確認」することとし、日本側がそれを公表することについて、韓国側は「勝手にすればいい」と突き放す形で、協議はまとまった。

 韓国側は「6月の国際会議に韓国名の提案をしない」と明言しておらず、日韓双方のメンツが立つ“玉虫色”の決着と言える。外務省筋は「合意2時間前まで、決裂を前提に、22日中に谷内次官らは日本へ帰る予定だった」と語り、ギリギリの交渉だったことを明らかにした。
(読売新聞) - 4月23日3時5分更新


痛みわけではない。日本の敗北いがいのなにものでもないだろ。自国の領土を守れなかったのだから、戦争でいえば敗戦だよ。
政府がこれじゃ、国民が覚悟を決めて国のために戦うことも出来やしない。

日韓共同の命名検討を 自民・中川氏、海底地形で

 自民党の中川秀直政調会長は23日の民放テレビ番組で、竹島周辺海域の海洋調査をめぐり日韓が対立した問題に関連し「海底地形の命名問題から今回の騒ぎが始まっているが、共同で研究して、一つのチームとして命名作業をする発想があってもいいのではないか」と述べ、海底地形を日韓が共同で命名することを検討すべきだとの認識を示した。
 日韓両国が外務次官の会談により、最悪の事態を回避したことについては「話し合いで意見の相違を乗り越えたのは、災い転じて福だと思う」と評価した。

(共同通信) - 4月23日11時46分更新


日本の領土である竹島やEEZで共同研究だと? 阿呆か。泥棒になんで気を使わなくちゃならんのだ。国を守る覚悟がないなら政治家辞めろ。

なんかもう情けないよ。
こんなんじゃ、拉致問題も解決しないだろうよ。東シナ海のガス田問題も、尖閣諸島も、沖ノ鳥島も、竹島も北方領土も、やがては沖縄も対馬も、相手に分捕られちまうぞ。日本自体、なくなるぞ。戦うことを自ら放棄してしまうような覚悟も勇気もない民族や国家には未来なんてありゃしない。

本当に、小野田さんたち、先人に申し訳ないと思ってしまう。
しかし、サヨク思想に凝り固まった腐った団塊の世代は間もなく引退だ。ここに希望を見つけようと思う。今、若者を中心に、自立した日本を求める気持ちが強まっている。やがては、団塊の世代の影響力をはね返して、日本のために戦う気概に溢れた世論、政治家が今よりももっと出現してくるだろう。そうなったとき、朝日や毎日といって反日マスコミの命運も尽きる。マスコミの世論操作に惑わされることなく、日本人として日本のことを議論できる日がやってくるのだ。
これは、希望的観測にすぎるかもしれない。しかし、失望ばかりしていられんだろう。失望から生まれる希望のしぶとさを見せてやろうではないか。

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